ゲームが子供達にとって面白いものであることは、彼らが熱狂しているのを見れば明らかです。しかし本来、子供は目の前にあるものを使って、時間を忘れて遊び続けることが出来るものです。これを今一度思い起こす必要があると思います。そして、その遊び自体が良質の学びたり得るということも。
たとえば、先日、小学校一年生の男子が塾内の椅子を片付けるのを手伝ってくれたので、「どうせなら、全部同じ高さに積んで、揃えてもらっていい?」とお願いしてみました。すると、彼は3脚ずつ積み重ね始めました。ところが、最後に2脚に余ってしまいました。こちらからは何も言わずに観ていると、彼はしばらく考えてから、別の場所にあった椅子を1脚抱えて戻ってきました。そして先ほど余っていた2脚に新たに抱えてきた1脚を足し、見事に全ての高さを3脚に揃えるのに成功したのです。積み上げられた椅子から一番離れた教室の端に行って、全体を一緒に眺めたのですが、彼の顔には達成感があふれていました。いわゆる「どや顔」です。大いに遊んで、大いに学んで、大いに自信をつけたはずです。
なお、この状況においては、答えが無数にあります。3脚ずつではなく4脚ずつにしてみてもよいし、揃わなかった2脚をどこかに持っていってもよいし、全てを1脚ずつにして並べてもよいのです。一般的に、こういう「オープンクエスチョン」の方がクリエイティブな発想を促しやすいと考えます。そして、こういう問いに取り組むことは、知的冒険であり、子供にとっては血沸き肉躍ることなのです。それを体感する機会が日常の中に散りばめられていれば、ゲームがなくても子供は困らないのではないでしょうか。そして、それは親、学校、そしてひなみ塾のような「第三の場所」が努力と工夫をすれば、十分に実現できると考えます。